【38】千葉雅也「動きすぎてはいけない」ゼミ第10回 # 千葉雅也「動きすぎてはいけない」ゼミ 第10回 ## 2024年12月21日 大谷隆 ## 範囲 序ーー切断論 0-5 生成変化を乱したくなければ、動きすぎてはいけない 65ページ3行目から69ページ7行目まで ## 2つの切断、AとB > 知識人とは、「どんなことにでも意見をもっている人々」[65] > ドゥルーズが斥ける知識人の「動きすぎ」とは、あれこれに関し私たちの代表者(représentant)たらんとする者ーーあれこれの再提示=表象(représentation)をしてばかりで忙(せわ)しい者ーーの節操のなさを指しているのだろう。そういう者は、生成変化によって自失する危うさに接していない。動きすぎる知識人は、裏腹に、理性の領分から動かないからである。[66] 何についてもあれこれコメントして意見を言う「知識人」は、実は何も変化していない。自分が変化してしまう危うさに接していない。「一塁から二塁へ進む」ようには発言しない。 > 他方、「動きすぎない」での生成変化とは、すべてではない事物「と」の初関係を変えることである。[66] 千葉はこのドゥルーズの「箴言」を「自意識の暴走(知識人の動きすぎ)」として読みつつ、同時に、「もう一つのメッセージを聴く」。それは「無意識の暴走(ジャンキーの動きすぎ)」で、この2つをこれまで議論してきた2つの切断に対応させる。 > A 知識人=代表者の動きすぎ > ↓ 節約A(=切断A:リゾームへの切断) > 動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ) > ↑ 節約B(=切断B:リゾームの切断) > ジャンキーの動きすぎ かなりわかりやすい図式になっているが、引用されているインタビューの感じからすると、ひょっとするとドゥルーズ自身も「切断B」はあまり気にかけていなかったかのようにも読める。 ## 創造的になるには 今回の範囲ではこのフレーズが一番、ワクワクした。面白さを探っているときの、あの感覚がなんとなく思い起こされる。 > 創造的になるには、「すぎない」程に動くのでなければならない。[67] 創作や表現において、「すぎない」ほうがいいというのは実感する。最近特に。考えすぎない程度に考えなければならない。やりすぎない程度にやらなければならない。「動きすぎの手前に留まること」。「すぎて」しまうと、なんだかつまらなくなってしまって、ちょっと戻って来るようなことを試している。 「すべて」とつながり、すべてを見渡した上での正解を探しているとまず表現はできない。自分は有限で、今できることしかできないという「踏ん切り(切断)」がいる。すべてを知るということと創造するということは異なる位相にあり、正しさを求めての創造は人間には難しいのではないか。 表現や創造について一般に思われているような「もうそれ以上は行けない限界点」にたどり着くことが優れた表現ということをその通りに実感したことはあまりない。面白さがどこかにあったとしたら、そこへ向かっていくときには、進めば進むほど面白くなっていくが、或るところを通り過ぎてしまうと、またつまらなくなっていく印象がある。つまり、ずっと続いている平原や海原のどこかに面白さがある感じ。だから「やり切る」といった威勢の良いアプローチでは、その面白さの点に留まることは難しいのではないか。むしろ、どういうわけかはっきりとはしないけれど、このあたりがそうではないかというプロセスの中断のような到着の仕方をするのではないだろうか。一見、どうということがないようなところに留まって、それはここだとを宣言することに面白さがある気がする。宙に浮いたまま。 ## ドゥルーズ(&ガタリ)の世界の風景 ドゥルーズ(&ガタリ)がどのように世界を捉えているのか。 > 潜在的な差異が、ドゥルーズ(&ガタリ)にとっての「実在réalité」である。その風景、世界の本当の姿は、どのように描かれるべきなのか。それは渾然一体のめちゃくちゃではない。切断された、区別された、分離された、複数のめちゃくちゃによるコラージュである。[68] 世界を一つの秩序として描くのではなく、だからといって、単なる混沌となるわけでもない。単なる混沌もまた一つだから。そうではなく、複数の混沌(めちゃくちゃ)。彼岸の彼岸。ある一つのめちゃくちゃが別のめちゃくちゃと区別されている。こう書くとイメージしにくいが、複数の乱雑な模様の落書きを切り貼り(コラージュ)したときにその切り貼りした境界はわかるというイメージか。 ## 無人島と「個体」 > 島は大陸から離れ、太陽と拮抗して存在する。[68] > ベルクソン的な連続性の直観と、ドゥルーズのこの〈無人島的な分離の**直感**〉をいったん**分けて**おこう。[69] 直観と直感で文字を変えている。視覚的なものと感覚的なものということが含意されているのかもしれない。とはいえここだけではベルクソンの直観とドゥルーズの直感のイメージの違いはよくわからない。後で詳しく書かれるのだろう。 ## 軽く話題が移っていくが、いちいち重要トピックになる - 生成変化を乱したくなければ、動きすぎてはいけない - 〈代理-表象批判〉 - 直感と直観 - 無人島 - 「個体」 一つのトピックについて語る時の「形容詞」的な言葉が次のトピックになり、そのトピックを語る言葉が次のトピックに、といった具合で、次々と重要そうなキーワードに乗り移っていく。 以上 Share: