【38】千葉雅也「動きすぎてはいけない」ゼミ第7回 2024年8月31日 大谷隆 ## 範囲 序ーー切断論 0-3 接続的/切断的ドゥルーズ 46ページ15行目から53ページ行目まで ## ベルクソン主義とヒューム主義 ドゥルーズには二つの顔がある。接続的ドゥルーズと切断的ドゥルーズ。 接続的ドゥルーズはベルクソン主義に立脚する。 > この場合のベルクソン主義は、あらゆる事物を、**存在全体の連続性における**差異化のプロセスに内在させる立場である。[49] この「存在全体」は、トッド・メイのいう > 必然的にコミュニケートする世界ーー諸々の同一性をそなえた知覚可能な世界の下の/なかの、匿名的で生産的な、差異のひとつの世界。この世界へと至ることが、差異を肯定することなのである。[34−35] この「ひとつの世界」である。何もかもが必然的につながっているたったひとつの全体。 一方、切断的ドゥルーズはヒューム主義に立脚する。 > その核心は、事物の概念的な同一性のない状況、感覚的な「所与=データ」がバラバラに飛来する場面において、それらの「連合association」によって「主体化」がなされる、という「連合説」である。[49] 主体は最初から(アプリオリに)主体なのではなく、主体化プロセスの途中にいる。事後的な(アポステリオリな)つながりそれ自体が主体である。だから常に、バラバラな状態へ戻ってしまう「解離」の危険にさらされている。 「連合**と**解離」も一種の「接続**と**切断」であり、ドゥルーズはこのうちの「解離」へと傾いている。 引用部分の最後の「連合説」がカギ括弧つきなのは、そういう意味で、もう少し丁寧に書けば「連合と解離」説の「解離側(ヒューム的な解離説)」を重視する立場に傾いている、ということ。 ドゥルーズの哲学は、この二つの相反した面を併せ持っている。その併せ持ち方が、例えばウィトゲンシュタインやデリダのように明確に前期と後期に分かれる、後期が前期をはっきりと否定するような持ち方ではなく、同時的、両面的に「**と**」で合わさって走っている。 ## 「意味」の意味と有限性 意味と非意味の違いに焦点があたっている。ここで言われている「意味」の意味、というかニュアンスについて、少し考えてみた。 意味的接続や非意味的接続という言い方で使われているこの意味は、例えば「信号機の色は、赤が止まれ、青が進め、黄が注意の意味だ」といった「フラットな記号解釈」のニュアンスというよりは、「こんなことにいったいなんの意味があるのか」というような、そのことに価値が重心がある(むしろ無い、無意味)という「重み付け」のニュアンスを思い浮かべたほうが、**とりあえずは**、良いように思える。 とすると、「有限性」という言葉に対して使われる「意味と無意味」の意味もそのようなものとなる。 > 事物の有限性は、非意味的に設定されるしかないだろう。[47] この「有限性」は、「そんなことに意味はない」という境界の無意味さを示している。 「精一杯やり切った。全力を出した。これ以上は無理だ」といった状況における「限界」は、その境界に意味(価値)が発生して(設定されて)いる。そのため、意味的な有限性となる。 一方で、「やってる途中で来客があったので中断し、そのままになってしまった」といった、結果的にそうなってしまったような「限界」には重要性が設定されていない。 「精一杯」とか「やり切る」とか「全力」とかいった語彙から立ち上る力強さやマッチョさが、意味的なもののイメージを示していて、「なんとなく」とか「たまたま」とか「気がついたら」とか「ついつい」といったゆるさや弱さが非意味的なもののイメージと言えるかもしれない。 ## モダンーーポストモダンーーポストポストモダン またしてもポストがたくさん出てきた。おそらく構造主義に連なった二つのポストとの連携があるのだろうが、軽く整理しておく。 **モダン**とは、ツリー構造によってヒエラルキーがはっきりと定められ、自分のポジションがガッチリと決まっているような世界。意味と意思をもった「ハードな主体性」の世界。 - 就業時間が規則で決まっていて、職掌通りの仕事をして定時で帰る。 **ポストモダン**とは、リゾームによってあらゆる点が別のあらゆる点に接続可能な、ゆるいけれど、どこにも逃げ場がなく、一つの全体に取り込まれている非意味的接続がメインの世界。 - 時間外なのに携帯電話で連絡がある。 - 就業時間がはっきりしていなくて、なんとなく残業していると、ついでにゴミ捨てしといてとか頼まれる。 **ポストポストモダン**とは、ポストモダン的な接続過剰の世界で、情報を取りこぼしてしまったり、偶発的な出来事のためにそれまでやっていたことが途切れたり、それによって別の接続が可能になったりする。ブツブツと途切れることを前提として試行錯誤することがポストポストモダンの課題。 - 音声通話が電波状況のせいでブツブツ切れて何言ってるのかわからないから、ラインのメッセージを複数個バラバラっと送信する。 - メッセージの返信がすぐに返ってくることもあれば、なかなか返ってこないことも有り、永久に返ってこないこともある。 - なので、重要なことは再送信したり、リマインドしたりする。 このようなポストポストモダンの状況で、物事を進めていくための試行錯誤が現在の課題なのだとすれば、なかなか大変。すぐに思いつくのはやはり、モダン(近代)以前の強い外部存在(超越者)である神、王の復活(保守主義の復権)で、世界的な右派勢力の台頭はそういうことかもしれない。あるいは、「ルール」への過剰な依存によって精神安定を求める風潮もそうかもしれない。 ## ドゥルーズ年表 1925 生誕 1944 ソルボンヌ大学入学 1948 アグレガシオン合格、アミアンのリセ就職 1953 オルレアンのリセ。 『経験論と主体性』 1955 パリのルイ・ル・グラン校 1956 「ベルクソンにおける差異の概念」 ファニー・グランジュアンと結婚 1957 ソルボンヌ大学助手 1960 第一子ジュリアン誕生 1962 『ニーチェと哲学』 1963 『カントの批判哲学』 1964 第二子エミリー誕生 リヨン大学助教授 『プルーストとシーニュ』 1966 『ベルクソンの哲学』 1967 『マゾッホ紹介』 1968 『差異と反復』 『スピノザと表現の問題』 1969 『意味の論理学』 パリ第八大学教授 1972 『アンチ・オイディプス』(ドゥルーズ&ガタリ) 1975 『カフカ』(ドゥルーズ&ガタリ) 初の訪米、講演。リゾームの絵を描く 1976 『リゾーム』(ドゥルーズ&ガタリ) 1977 『ディアローグ』(クレール・パルネとの共著) 1980 『千のプラトー』(ドゥルーズ&ガタリ) 1981 『感覚の論理』 1983 『シネマ1ーー運動イメージ』 1985 『シネマ2ーー時間イメージ』 1987 パリ第八大学退職 1988 『襞ーーライプニッツとバロック』 1990 『記号と事件』 1991 『哲学とは何か』(ガタリとの共著、実質的にはドゥルーズ単著) 1992 サミュエル・ベケット論『消尽したもの』 1993 『批評と臨床』 1995 11月4日没 以上 Share: