大谷隆
この書けなさはいったいなんだ。
この本(『考える練習』)はこの本はいったい何であるか、とまとめられることを拒否している。少しでも気の利いたこと、借りてきたことを書こうものならこの本に直ちにダメ出しをされる。
この本によってもたらされた事々は、どこにも収納できる所がなく、自分自身の内側に次々と落ち込んでいく。容易に自分の外へ出すことができずガサガサとし続ける。
逃げるように思考が拡散していく。気が散る。それをなんとか押しとどめながら、この本のことを考える。どんどんぼやけていく。でももともとクリアに見えていたわけではないから、そもそも何かが在ったのだろうか。ぼやけてきたわけではなく、むしろ何も無いところから何かが生まれてきたのかもしれない。この霧こそが、見えなくしているものではなく、見えてきたものなのかもしれない。
薄くなり濃くなり集まり散る霧を見つめてうろうろとし続ける状態でなんとか文字を残す。それが小説を書くことなのかと思った。
薄くなり濃くなり集まり散る霧を見つめてうろうろとし続ける状態でなんとか文字を残す。それが小説を書くことなのかと思った。