鈴木陵
ゼミが終わってかなり時間が経ったにもかかわらず、なかなか書けない。
とりあえず浮かんだ言葉をメモに残していくけれど、まとまらない。
「ひとまず寝かせてみよう」と思って、しばらく時間を置いて、自分の書いたメモを見返す。
「こんな風に書けば、『的確に』『簡潔に』『この本の核心を』伝えられるのでは」
という方向性で「うまくまとめよう」としているように感じて嫌になる。
この数週間はそんなことを繰り返していたように思う。
自分が担当した回のレジュメはまだよかった。
レジュメで何かを言わなくていい、と思っていた。自分の用意したレジュメがスタート地点にはなるものの、始まってしまえばどこかには到達している。それでよかった。
ゼミ後のコメントも同じで、ゼミが終わってみて見えている景色を書けばよかった。
でも今回は『考える練習』全体を読み終えてのレポートだ。
どうしても、「この本はこんな本です」と、うまいこと言いたくなる。
でも著者の言う通り、それは本書の「まえがき」に書いてある。
どうしてこういう状態になっているのか、本書の言葉を引用して説明しようとするけれど、
どこか納得がいかない。
「この箇所にこう影響を受けて、こう考えるようになった」と言えれば分かりやすいのだろうけれど、そのように書くことができない。
この本のレビューを書くことが仕事なら、そういう書き方もできそうだ。
もちろんそうではないので、やっぱり書けない。
ただ、「こういう状態である」ということを、この『考える練習』のレポートとして書きとめておくことには納得できる感じがある。
ようやく書けた。