【02】まとめない、でも書いてみる

山根澪

この本(『考える練習』)を読み終わって、この本について何か「わかった」とか、「まとめる」とかそういうレポートを書くのがやけに難しく思えて、どうしようかと思っていた。

そして、本書を読み始めたころから自分がよく考えてきたことについて書いてみようと思った。この本の影響で、ふと自分の考えを推し進められたり、それ違うんじゃないのと考え直させられたり、揺さぶりを受けた気がする。

この2-3ヶ月ほどブログを書こうかと思うときに、「このことは書ける」「このことは書けない」と判断を下すときがあるが、その判断基準はなんなのかと引っかかっていた。

その基準の一つは、ある程度考え終わって結論があるかどうか、ということかもしれない。考えて答えのでない渦中にいることについてはなかなか書けない。

渦中にいる状態の自分の考えを書くのはことになんだかためらいがある。どちらかというと何事も片付いたあとに意見を書いてきたような気がする。この間、「結婚」について自分のブログに書いたけど、それは結婚をした後に書いている。その時考えたことをしっかり書き留めたと思う。しかし、結婚について考えていた結婚前の自分の言葉は残しておかなかった。結婚後に結婚について書くというのはだいぶ楽なことで、都合よく伝えやすい部分を使いやすいようい取り上げてまとめたんじゃないのかって気がしないでもない。結婚に至るまでの、結婚へと向かったストーリーには俎上しない出来事や考えは今はもう思い出し難く、あまり記録にもないんじゃないか。

今は、「死」についてよく考えるのでそのことを書こうとしたが、結局できなかった。「死」について考え始めたのは、実家にいる犬のタケが癌と診断され、そしていつ死ぬのかよくわからない状態に陥ったからだった。なんでお見舞いに行くんだろうとか、タケが死んだらなにが変わるんだろうとか考えている。タケは今も生きていて、お見舞いに行きたい自分がいて、死がまだまだまだまだよくわからないという渦中にいる。
そんな渦中のことを書こうかと思ったが、ばらばらとまとまりがなくなにかそれがレポートとして成立する自信が持てなかった。日々、死のことを考えて、今までの見方と変わりつつあるけどどう書いていいのかわからない。せいぜいぽつぽつとなんとかノートに残す。書けるほどに考えのまとまりがない。

書かないことは残らないので自分でも忘れていく感じがある。それは寂しい。書きたいと思ってまとまりどころを探してるときもあるんじゃないかと思う。それは楽してる。

無理に結論っぽいことを書かないこと、そしてでもなんとか文字に残そうとすること、書くときにそういうことを考えてみたい。
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