【05】『増補 無縁・公界・楽』第2回レジュメ

三、四、五

2015/02/09 発表:鈴木陵

三 若狭の駈込寺—万徳寺の寺法

戦国大名自身が、このような駈入寺の特権をできる限り否定しようとしていたことは間違いない。どうしてもそれが不可能な場合には、武田氏の正昭院に対する施策のように、寺領を安堵し、寺法を確認するとともに、自らの祈願所とすることによって、統制下におこうと試みている[38]
しかし、そのことは逆にまた、下人・所従・奴婢や、科人が走り入ることのできる場—その「解放」を保証する「自由」の場が、戦国時代、なおいかに広く、また強力に各地に存在したかを物語っているともいえよう。[38]
ここを読んでいると、時の権力者が「無縁の原理」を無視できず、手を焼いている様子や表情まで思い浮かぶ。法や権力によって擁護・統制しなければどうしようもないということは、そこに働く原理がそれだけ力強いということだろう。最近ぼくは、ある権威によって何かを「認証する」という行為に敏感になっている。「認証」とは本来無関係に存在していた生々しい力が「認証」の陰に隠れて見えにくくなったり、他のものとすり替わったりする気がしてならない。
われわれはそこに、たとえ「敗北」したにせよ、専制的支配を貫徹しようとする戦国大名との闘いを通して、自らの姿をはっきりと刻みこんだ、「無縁」の根深い力をよみとらなくてはならない。日本の社会の基底に、必ずしも文字にされることなく、生きつづけたこの原理のさまざまなありかたをさぐるのが、これからの課題である[39]
網野は、戦国時代に残された「激しい格闘の跡」である「寺法」から「『無縁』の根深い力」をよみとっている。ぼくは、網野が書くこの文章から、さらに迫力を伴って「『無縁』の根深い力」を受け取ったような感覚になる。

四 周防の「無縁所」

「私有」のかげに、いつも、ひっそりと、あるいは怒りの、あるいは怨みの色をうかべて立つ、「無主」「無縁」の姿を見て、幽霊でも見たように、おそれおののくことはかなろう。「有主」—私有の世界にもっとどっぷりつかろうというならばともかく、そうでないならば、われわれは恐れることなく、その姿を直視する勇気をもたなくてはならぬ。[49]
言い換えれば、「私有の世界にもっとどっぷりつかろうというならば、「無主」「無縁」の姿を直視しなくても生きてゆける」ということか。ぼくは「どっぷりつか」ることは難しい気がしている。網野に「この先もちゃんとついて来いよ」と言われているようだ。

五 京の「無縁所」

清玉のような天皇・大名に保護された勧進に対し、本来の姿を保つ遍歴の勧進聖もいなかったわけではない。しかし、戦国・職豊期以降、こうした人々は「がんにん坊主」などといわれて賤しめられ、事実、物乞いに堕したみじめな姿をさらしていていた。そこにもまた、末路に近づきつつある無縁の原理の一面を見いだすことができようが、(略)暗く陰惨な影があったことは、当然予想される。[57]
忠弘の運命には、さきの遍歴する勧進坊主と共通する暗さがある。[59]
このゼミも、あるいは円坐も、今ぼくたちが生きる時代に「無縁」の原理が働く場ではないかと思う。そう考えると、今でもこの「暗さ」は何かの形で表れるのだろうか。

全体を通して、見えない・形のない原理を、見える・形の残っているルールや権力の痕跡から読み解いていく過程がおもしろかった。「見えるもの」の陰に、見えなくなっているものは何か。そんな考えが浮かんだ。

コメント(山根)

  • 『「無主」「無縁」の姿を見て、幽霊でも見たように、おそれおののくことはなかろう。』の部分は鈴木氏が現状を伝えようとする難しさを語ったことでイメージが持てた。数年前パートナーの大谷がミニカン・円坐に行く姿を見て、その意味の不明さに邪魔さえしたくなった自分自身はまさにおののいていた。別の機会にミニカンを「おっかない」と評したこともある。「その姿を直視する勇気」を持ちながら進んでいきたい。 

コメント(大谷)

  • 戦国時代の大名支配のあり方のイメージが一気に充実した一夜だった。戦国大名の支配が仮に現代の過激派組織の「実効支配」としてあてはめてみると、武力支配者集団とその支配地域における民衆との乖離が実感を伴ってくる。戦国大名はすでにそこに住んでいて、暮らしを営み、商品を売り買いしていた民のいる街や道に、覆いかぶさっているに過ぎず、その下の民はその支配地域にいるというだけで、その「国」の「国民」という意識は希薄だっただろう。この支配下にある民の営みのエネルギーの源として無縁の原理があり、その原理に基づいた市や道、寺があるとすると、その原理の力の大きさは極めて大きい。この視界に立てば、戦国大名は、もともとあった無縁の場の持つ機能を自分の思い通りにしたというだけで、その場自体を作り上げたということは考えにくい。 
  • さらに、ある程度以上の規模の支配領域を持った大名は、武力による外敵への支配よりも、すでに支配領域になっている地域にいる民への内的支配のコストが大きくなると予想できる。このコストを下げる方法として天皇という第三者的存在からの「承認」が有効であることは予想できる。また、そうだとすると戦国時代においても天皇と民とのつながりは、有力大名の武力支配よりも民にとって正当性・正統性があったのだろう。本書「まえがき」にある問い「天皇は滅びなかったのか?」に対する答えの一部として、このことが言えるのかもしれない。 
  • 鈴木氏の取り出した「遍歴する勧進坊主と共通する暗さ」は、直感的には現代において寄付をお願いするNPOの暗さとその逆として対価性のあるサービスを提供する事業型NPOの「明るさ」を連想させる。またもう少し広く見ると、鈴木氏が「ゼミの仲間を中学生の同級生などに説明するときの難しさ」といった時の難しさ=見通しの悪さという点で「暗く」、同時に「中学の同級生」という有縁の説明しやすさ(明るさ)との対比も浮かび上がる。 

コメント(鈴木)

  • 「無縁」につきまとう「暗さ」について。レジュメを作成する段階ではうまく言葉にできないでいたが、ゼミ中になんとか言葉にすることができた。本書で取り上げられているように「餓死」することはないが、「ゼミで出会った人を中学校の同級生に説明しにくい」「今の暮らしには生きている手応えを強く感じられるが、周囲から心配される」といった「通じなさ」に、ぼくは「暗さ」を感じている。 

コメント(小林)

  • これまで持っていた「戦国大名」についてのイメージがガラガラと崩壊していった。愛知県出身ということもあり、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、などの有名 な戦国大名については、親しみを持ち、書籍やゲームなどを通じて(勝手な)豊かな世界観を想像していたが、今回のゼミを通して見えてきたのは今までとは全 く逆の世界だった。 
  • 特に、もともと広大な無縁の場が広がっている中に、武力をもって制圧地域を作り、さながら過激なテロ組織のように「実行支配地域」を広げていった、という視点はこれまで考えようともしたことのないものだった。 
  • また、「無縁」の場や人を見るときに生じる「怖さ」については、プログラムや目的を設定しない「エンカウンターグループ」や「円坐」などの場を開くとき に、(おそらく)周囲に発生している怖さと類似していることは貴重な発見だった。「明るさ」や「暗さ」は見通しの良さと悪さを表す。そして、人は見通しが よく説明のつきやすいものに惹かれる。それゆえ、「暗い」ものは遠ざけられたり、嫌われたりし、それが差別につながっていく。ところが、その暗さは、第一 回で論じた「自由」と大きくつながっている。「次に何が起こるのか分からない」という状況こそが、本当の意味で自由であり、それが「自由」という言葉すら 持たなかった日本で「無縁」と呼ばれていたのだろう。
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