まえがき、一、二
2015/01/17 発表:大谷隆
まえがき
網野善彦が高校生から受けた2つの質問[5]、「なぜ、天皇は滅びなかったのか」
「なぜ、平安末・鎌倉時代にのみすぐれた宗教家を輩出したのか」
網野は生涯をかけてこの問に向かう。印象的なエピソード。
副題の「自由」と「平和」について、
本書の副題の「自由」と「平和」を、西欧の近代以降の自由と平和と、直ちに同一視しないでほしい(略)括弧つきで表した「自由」と「平和」は、それと無関係どころか、これを基盤としてのみ、近代以降の自由と平和の理念は生れえた、と私は考えている。しかし「自由」と「平和」は、あくまでも原始以来のそれであり、その実体は時代とともに衰弱し、真の意味で自覚された自由と平和と平等の思想を自らの胎内から産み落とすとともに滅びていく。だからこそ、世俗の世界から、この「自由」と「平和」の世界に入ることはできても、その逆の道を戻ることは次第に困難、かつときには「絶望的」と思えるほどになっていくのである。[6]
本質的に世俗の権力や武力とは異質は「自由」と「平和」ーー本書でいう「無縁」の原理が、人類史と、この日本の自然の中に生きてきたわれわれの祖先たちの生活に及ぼしつづけてきた、はかり知れない影響の大きさ、その「再生」への展望を、私はできるだけ強調したかったのである。[7]もともと古代日本の「自由」は中国で使われている意味と同じ「勝手気まま」だったが、福沢諭吉がlibertyの訳語として近代に「自由」を当てたという説がある(Wikipedia)。現在では「勝手気まま」よりも、もう少し統制されたというか、破天荒な力を薄められ、漂白、洗浄されたようなニュアンスがある。平和に関しては単なる「戦間期」という意味と「完全な善」とでも言えそうな崇高さすらまとわりついている思想とがある。
一 「エンガチョ」
「エンガチョ」と「スイライカンジョー」にまつわる網野の記憶。この遊び(エンガチョ)は「鬼ごっこ」ほど、遊びになりきっていない。突然、この「はやし」がおこり、ひとしきり騒いだあと、いつとはなしに忘れ、終わってしまう。しかし、のけ者あつかい、意地悪など、邪悪な意図も入りうるので、深刻なところも残っている。だから、いまでも鮮明にそのときの情景まで思い出せるのだろう。[14]
「エンガチョ」の遊びは、この「縁切り」の原理のもつ表と裏をよく示しており、人間の心と社会の深奥にふれる意味をもっているように思われるのである。[15]
(スイライカンジョーでは)そこにふれ、またとびこむと、外の勝負、戦闘とは関係なくなり、安全になる場所や人、またそこに手をふれ、足をふみ入れることによって、戦闘力、活力を回復しうるような空間や人間。それはさきの「エンガチョ」とよく似ており、いわばその逆の形、対極に当るものが遊び自体に現れているといってもよい。ここではそれに手を触れたことが、生命力の源泉になり、「自由と平和」を保証している。もちろん「陣」にとらわれて「捕虜」になったものの存在を忘れてはならないとはいえ、「解放」の救いはここには広くひらけているのである。だからこの遊びに関しては、「エンガチョ」とはちがって、私にはきわめて開放的な明るい記憶しか残っていない。(略)これは「縁切り」そのものの別の側面、もともと「縁」と無関係なもの、「縁」を拒否したものの強さと明るさ、その生命力を示すものといえるであろう。[17]エンガチョの暗さとスイライカンジョーの明るさ、その子供ながらの感覚は、全く同じ遊びをしたわけではないが筆者(大谷)にも残っている。この「子供ながらの感覚」を頼りに、その感覚が実は「無縁の原理」に根ざすということを、現在から「遠く」の過去へと明らかにしていくのが本書の狙いなのだろう。
二 江戸時代の縁切寺
縁切寺への「駆け込み方」が、離縁をのぞむ女性が、門内に草履でも櫛でも、身につけたものを投げ入れたとたん、追手はその女性に手をかけることもできなくなるという寺法にささえられた、この縁切寺こそ、江戸時代の現実社会に生きる、先述した遊戯の「陣」そのもの[22]「身につけたものを投げ入れる」という子供じみたルールに実効性があるのが面白いが、そう感じること自体が現代において「無縁」が衰退していることを示しているのかもしれない。
当時の権力——きわめて専制的な幕藩権力の力をもってしても、いかんともなし難い底深い慣習に支えられた場であり、また埋め難い「隙間」だったことは間違いない。幕府の役人がこうした場と慣習に対し、反感と不快の色を隠さなかったという事実そのものが、このことを端的に物語っているのであり、そこに、きわめて限定された意味にせよ「自由」と、権力や武力によるものではない「保護」とが存在したことは否定し難いといわなくてはならない。[27]当時の権力は「子どもじみた」などと子供扱いせず「反感と不快の色を隠さない」。「無縁」に対して権力側は「弾圧」「利用」「統制」「保護」といった「あの手この手」を繰り出していく。
2015/01/17
発表(二人目):小林けんじ
無い世界とある世界のたたかい
世俗の世界から、この「自由」と「平和」の世界に入ることはできても、その逆の道を戻ることは非常に困難、かつときには「絶望的」とも思えるほどになっていくのである。[6]自由と平和を、秩序と安定に置き換えると自分の実感と大きく重なる。「ないこと」、もしくは明確に見えない働きによってもたらされているものは、「あること」や確実に見える働きがあることの良さとの主張しあうときに勝つことはできない。仕事や組織の中で、ずっとそのたたかいに敗れてきた気がする。
縁が切れる、というルールが成立する不思議
離婚をのぞむ女性が、門内に草履でも櫛でも、身につけたものを投げ入れたとたん、追っ手はその女性に手をかけることもできなくなるという寺法に支えられた[22]
そこに駈入って三年間 〜()内中略〜、比丘尼としての勤め、奉公をすれば、縁は切れ、離婚の効果が生じたのである。[22]エンガチョとも重ねて説明しているが、子ども同士の遊びならともかく、大人同士でそのルールが成立するということが、今の感覚では信じられない。取り締まったり、罰則を与えたりする人がいるとは思えないので、「あそこにいくと世俗との縁が切れる」という常識のようなものがあり、当事者はそういう覚悟を持って行動を起こす、ということになるのだろう。
弾圧より効率のいい公認
権力はこうした原理の作用を、自らの下に押さえ込むことに成功し始める。さしあたり、幕府後任の縁切寺はさきの二寺のみとされ・・・ [23]「公認する」というのは、権力が無縁の原理を取り込む効果的な手法だと思う。少なくとも抵抗を生む弾圧をするよりは、権力側の労力は少なくて済む。例えば10の縁切寺があって、ほかの8つはダメでも、残り2つを公認すれば、公認された寺がほかの8つの不満のクッションになってくれる。人が集まったときに起こる作用を理解した人の対処方法だと思った。
コメント(山根)
- 「まえがき」がおもしろい。「なぜ天皇はほろびなかったのか」「なぜ、平安末・鎌倉時代にのみすぐれた宗教家を排出したのか」という質問へ答えようとする試論というところは読み込んで行きたいと感じた。また、ゼミでも話題にのぼったが読み解けない部分も、これに関してももう少し分かるようになりたいと思わせられた。
- 「ない」ということが通ったときに平和になる。平和に向かいようがない、という小林氏の発言が印象深い。今までの平和の概念が崩れる。もしそれでも平和に向かうとすれば、あるものをなくす戦いなのかなと思う。
コメント(大谷)
- 副題にあるカッコつきの「自由」と「平和」に関して。特に「平和」について、森氏の意見でかなりクリアな視界が得られた。現代における「戦争と平和」の2状態はいずれも所有と支配に伴うもので、つまり「持つ人」にとっての状態であり、「持たない人」にとっては争う必要のない「平和」だけがある。この「持たない」ことが世俗の縁が切れているということであり、すなわち無縁である。現代に生きる我々は、いわば「持たされた人」として生まれ、「持たない人」であることが難しい。このことは無縁の原理の衰退と関連があると思われる。
コメント(鈴木)
- 「世俗の世界から、この「自由」と「平和」の世界に入ることはできても、その逆の道を戻ることは次第に困難、かつときには「絶望的」と思えるほどになっていくのである。」という一節が、自分自身の生活実感とズレているように感じた。その感じているズレを口に出してみると、自分に引きつけて読みすぎていたと気がついた。本と自分の間合いが取れた感じがした。この一節は、今でも気にかかっている。
コメント(小林)
- 数年前に大谷氏から紹介され、何度か目を通したものの、難しさだけを感じるばかりだった。ところが、この「ゼミ」という方式によって、急に著者の描いた世界に触れられるような感覚を持つことができた。
- 「自由」という言葉について、誰かから与えられるもの、というイメージが強かったが、著者が「無縁の原理」と呼んで説明しようとしている自由は、保証された瞬間から機能しなくなることを、参加者の働いてきた経験などを語り合う中で見つめ直すことができたことが印象深い。