【13】加藤周一『現代ヨーロッパの精神』第4回発表資料

2016年5月21日 作成:大谷

6、7はいずれもキリスト教の精神を取り扱っていて、カトリックとプロテスタントというキリスト教の精神が「現代」においてどのように現れるかについて読める。

6 グレアム・グリーンとカトリシズムの一面

グレアム・グリーンの3つの作品から加藤は読み解く。

グリーンの三部作は、いずれも三角関係を扱い、一方では、夫婦関係の不可能を証明し、他方では、姦通に具体化された自発的な愛の限界を、証明しているように思われる。人間的な愛情は、当事者の誠実さの度合いに応じて悲劇的なものとなる、――ということが、その哲学であるとすれば、その哲学は絶望の哲学である。しかし、絶望の高貴さの哲学である。「絶望することのできる」人間、「悪人の決して犯さない罪」を犯す人間、――善意の人間には、必ずしも平和がないと、グリーンはいっているようにみえる。もし聖者でなければ、――しかし聖者とは、自己放棄によって、人間的価値の限界を超えた者である。[180]

もし聖者でなければ――私には、これが最後の言葉であるように思われる。なぜならば、われわれは、聖者でないからであり、もし、聖者であればという問は、人間的問題を離れ、したがってまた文学の領域を超えるからだ。[181]

こうしてペギーの「基督者の社会の中心には、罪人がいる」という言葉が指し示すところを明らかにしている。
「基督者の社会の中心にあるのは、罪人であ」り、聖者を演じることの巧みな聖者らしき神父ではなかったのである。弾圧がはじまると聖者らしき神父は、すばやく安全な国外へ逃れ、無頼の神父が、踏みとどまる。ーー踏みとどまったことを彼は自ら誇るだろうか。しかし正に誇るに足ることを誇ることさえ、彼は自己に禁じるのだ。すなわち、
「天使を堕落させたのは、自負心であった。自負心は、すべてのなかで最悪である。」
人間的善意がゆくところまでゆき着き、そこで謙虚のなかにカトリック的価値の転換の行われる過程は、すでに『権力と栄光』にも、充分にこれを跡づけることができる。[182]

このカトリック的価値の転換とは、
カトリシズムの深い一面は、自我中心主義に徹底的に対立し、自我中心主義の限界において価値の転換を迫るその逆説的な論理にあるだろう。(略)天使を堕落させた自負心は、ありもしない能力を誇る自負心ではないし、悪徳を誇る自負心でもない。もしそうであるならば、その自負心を最悪のものとすることに、逆説はないだろう。逆説が成りたつのは、自負心が現にある能力を誇り、自己の善意を誇り、主観的な潔白を誇り、美徳を誇ろうとするとき、それを客観的には最悪の罪とするからである。その逆説を通して現れる価値がカトリック的な意味での謙虚であろう。『権力と栄光』の神父は、そうして聖者に無限に近づいたのであり、『事件の核心』、『情事の終わり』、『居間』の主人公たちは、もし聖者でなければ、価値の転換は、悲劇的な死のなかにおいてしか成就されないということを証明したのである。[184]
本章の最後、
「自力作善」を悪とする宗教的逆説が、政治的にはどういう立場をとって現われ得るか、この言葉からも察することができるだろうと思う。[185-186]
は、カトリシズムが罪人でしかありえない人間による「民主主義」的立場をとるということだろう(例えばキリスト教民主主義)。宗教的逆説を、政治の方から見た場合、罪人としてしかありえない以上、絶対的な価値を標榜する立場が現れた時に、「その反対の立場」として立ち現れる政治的立場ということになる。カトリシズムにおいて特定の政治的絶対性は持ち得ず、常に、何かが絶対性を持った時にその反対勢力として立つ。


7 カール・バルトとプロテスタンティズムの倫理

一方プロテスタンティズムについては、加藤は神学者カール・バルトにそれを見る。

ハンガリーについて簡単な歴史をウィキペディアからまとめると、
1944年(第二次大戦中) ソ連占領統治を受ける。
1946年(戦後) ソ連の影響下でハンガリー第二共和国成立。ただしハンガリー共産党は少数のため連立政権。
1949年 ハンガリー人民共和国成立。スターリン主義時代。
1956年 ハンガリー動乱。ソ連支配に対する民衆蜂起。←本書で取り上げているのはここ。
バルトはハンガリーのプロテスタントについて、「ローマ・カトリック教会のように、根本的に体制(ソ連の共産主義体制)反対の立場に立っているわけではな」く、
バルトがそこに見たのは国家と教会との関係について本質的な問題であった。つまり「教会と社会とが対立せずそれぞれの真の要員、それぞれのまじめな代表者において、相携えて進みうるような活動」の問題である。しかしハンガリーに彼が見出したのは、問題であって解決ではなかったということに注意する必要はあろう。[191]

バルトの国家哲学は、
第一、国家とは「人間の外面的な生活を規制するために人間によってつくられた秩序」である。この秩序は、その本質上、権力によって維持される。しかしまた国家は、国民が自由に国家に対して責任を追うことによって、維持されなければならない。そこで正しい国家とは「そのなかで秩序・自由・共同性・権力・責任の概念が、均衡を保ち、その要素のなかの何れかが絶対化されて他の要素を支配しないような国家」である。(略)よりよき国家とより悪しき国家について語ることはできるが、絶対によい国家もないし、絶対に悪い国家もない。
第二、(略)地上には神の国もないが、悪魔の国もない。(略)
第三、絶対的に悪魔的な国家というものはないから、たとえ国家がそのような徴候を示しはじめたとしても、キリスト者としては、ただちに肯定か否定か、賛成か殉教か、という形で問題を捉えるより、「しばらく待って、事態を個別的にみてゆく自由」を保留すべきである。[193-194]
(さらに補足して)
国家と教会とは本来対立関係にはない。人間の正義、国家の真の姿は、神の正義を説く教会を正当化するはずのものである。しかし国家が教会になることはできず、教会が国家になることはできない。(略)(国家の)任務は「人間の法」をうちたてることである。(略)「人権の、真にあらゆる人権の」尊重である。[199]

これに対しブルンナーは、バルトのナチへの反対との矛盾を指摘する。ブルンナーは、ナチもソ連共産主義も全体主義であり同じだとする。
バルトはナチ時代のドイツに向けて、1945年初頭に「友人として語」っている。その核心は、
「人間が人間の友であり得、人間が無条件に他の人間に敵対するのではなく無条件に友好的でありうるということ、そういうことが世の中にあるという確信が、ドイツ人には欠けていたし、また今でも恐ろしいほど欠けている。」[201]
つまり「友人として」友人を信じられない者に語る、ということをしている。このナチ・ドイツの「人間の連帯性に対する不信」はバルトにとっては「人間の精神の危機」であり、この危機は共産主義にはないとした。「問題は相手が「全体主義」であるかないかの測定ではないということだ」。加藤はこのバルトをサルトルに重ねる。
自己の課題に深い信念をもつ者は、容易に戦わず、しかし戦うときには断乎として、たとえ一人でも戦うのである。そこには謙虚さと、静かな力がある。バルトの文章の美しさというものがあるとすれば、おそらくそれは文体の美しさといったものではなく、人間そのものの美しさであろう。[204]

加藤はこういった人間に惹かれている。加藤自身の哲学でもあるのかもしれない。
Share: