【01】パウロ・フレイレを読んでの感想

高向伴博

 本書(『被抑圧者の教育学』)は、非人間的な状態から人間的な状態への変革(=エンパワメント)への理論と方法論を説いた書物である。その意味で、現代人にも応用可能な、よりよく生きるための視点を明らかにした本だったのではないだろうか。
では、非人間的な状態とはどのような状態をさすか。それを明らかにするために、人間的な状態をまず確認する。

 フレイレのいう人間的な状態(=エンパワメント)とは「一人ひとりが考える主体として自分を感じていること、自分の思いを議論できること、自らの世界観をもてるということ、自分の提案を自由に表して仲間と共に議論できる」状態をさす。[196]

 つまり、その状態で生きていない、あるいは生きることができない状態を非人間的(=非エンパワメント)な状態と捉える。その理解では、実に多くの現代社会に生きる人々が被抑圧者の条件に当てはまるのではないだろうか。

 ここ最近、学校教育において「個人のキャリア開発」が盛んに行われているが、そこでは、面接対策、自己分析など、就職するためのスキルの育成であり、自分の人生をどのように生きるかという視点を含めたキャリア開発になっていない。その意味で、エンパワメント教育になっていない。

 また、空気を読む、とか、協調性という言葉が一定無批判的に受け入れられる社会背景には「言いたい事はあるけど、どうせ言っても無駄だから言わない」というような、無関心や諦めといった感情が当たり前に存在しているのではないだろうか。

 大事なのは、自分の今の状態を批判的に考察する事だとフレイレはいう。つまり、メタ認知的に自分を見る力。批判的に社会を捉える力。それが大事だという。自分の今置かれている状態を分析するプロセスがエンパワメントにつながるという。

 フレイレの議論から学ぶことは、自分の価値観をもつ、流されない、大きな権力性を疑う、自分はどう生きるか、という生き方の芯をもつことが大事であるということである。
では、具体的にフレイレの理論を参考に、エンパワメント教育を、今の日本の学校教育においてどのように実践をしていくか、どんな教育が考えられるか。その観点から、少しだけエッセンスを述べておく。

 現代社会で、能力主義・競争主義社会で勝てない者・うまく適応できない者のエンパワメントを考察する上での一つの視点は、発想の転換が必要ということ。
例えば、資本主義社会の中であおられた都市型の物質的豊かさの生活や物質中心の豊かさ、消費主義的な豊かを求めるのではなく、各個人の豊かさを創造するということ。つまり、スローに生きるということ。

 例えば、目に見える物ではない価値に目を向けて、お金を掛けずに楽しむ。日常の中に創造的な楽しみを見いだすこと。自分の生き方を創造するということ。そういった視点を教育にどのように組み込むか。各教科とどのように結びつけ実践するかという検討が必要。

 フレイレの議論や、私がこれまで考えていた事を含め、大事だと思う教育は、自分の人生をどのように生きるか考える、フェアなコミュニケーションを学ぶ、生きていく上で必要な基本的な権利を知る、というような、『生き方』の基礎を育成する教育である。そこで、私の考える生き方教育(Life education)の枠組みを考えてみたのが次の表である。

表1 ◆「生き方教育(Life education)」に必要な視点
①自分を知る
②まわりを知る

③コミュニケーション能力を育む
傾聴、受容する態度の育成
④自然とのつながりを知る
環境教育
⑤多文化共生についての学び
開発教育、平和教育、人権教育
⑥市民性教育
政治的リテラシーを学ぶ
⑦人権と民主主義を学ぶ
権利や多様性を尊重し、暴力・排他的ナショナリズムを排し、社会的公正を実現するための教育をめざす。
⑧労働教育を学ぶ
働く人の様々な権利、社会保険についての基礎知識、反貧困学習の視点、現代社会の社会構造、差別と貧困の関係性
⑨様々な問題への対処を考える
生きていく上で出会う様々な「障害、事件、壁、失敗、悲しみ、敗北、被差別」への対処
⑩生き方の哲学を学ぶ
生きる意味、人生の幸福、喜び、自分の生き方、趣味、表現、アート
少し、エッセンスをまとめたが、今後この視点を深め、具体的なカリキュラムに落としこんでいきたい。

さらに、今後の問として、「豊かな生活」「人間的な生活」とはどのような生活か、哲学的に、本質的に、根本的に、今後さらに研究を深めて行きたい。
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