【01】現代を照射する教育学

大谷隆

『被抑圧者の教育学』は、読んでいくことで世界が変わっていって読み終えるともう元には戻れない、そんな本だった。具体的には二つの概念が大きく変化した。

 一つは教育。フレイレは、持つものが持たざるものへ知識の伝達というそれまでの教育は、抑圧者と被抑圧者の立場を固定し現状を維持する抑圧の構造そのものであると否定し、対話によって常に現状を捉え直し、ともに世界へ働きかけ続けていく教育を提示する。未完成の人間が同じく未完成の人間との対話を通じて未確定の世界を引き受けていくプロセス、それが教育だ。

 そして、もう一つが革命。ある日、類まれなリーダーシップを持った英雄が現れて人民を率い、暴力的な手段で時の権力を転覆するというのが僕自身の革命のイメージだったが、これは根底から変えられた。革命は、前述の教育が行き渡ることそのものであり、諦めることのない対話のプロセスによって引き起こされ、抑圧されている者一人ひとりがその内部で起こす変化が世界へ現れた状態である。支配層が入れ替わることではなく、抑圧者、被抑圧者がともに世界を引き受けていくことが革命なのだ。

 読み始める時にはブラジルの貧しい農民であった被抑圧者のイメージが、読み終わる頃には僕の中で、自己責任によって自らを縛り付けられている現代日本人に置き換わっていることに気づく。「何ができるでしょう。神様がこうなさっているんです。※1」という外からの支配は、現代においては「自分が悪いから辞めさせられても仕方がない※2」と抑圧者が内在した自己からの支配に通じる。

 「同じことが少しずつ言葉を変えてはらせん状に繰り返されていく※3」文体が、まるでフレイレによる粘り強い対話そのもののように感じる。読むことで読者は自らの内的な抑圧から解放され、世界を引き受けていくことができる。本書はエンパワメントについての本であると同時に、エンパワメントそのものなのだ。

※1 本書271ページ脚注36
※2 「若者を食いつぶすブラック企業の実態|NPO法人POSSE代表・今野晴貴さん」http://bylines.news.yahoo.co.jp/inoueshin/20140722-00037605/
※3 本書314ページ「あとがき」
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