【19】日本文学・表出史セレクトレジュメ

2016年3月18日作成 山根澪

「言語にとって美とはなにかⅠ」では、「一兵卒」が自然主義[243]、「刺青」話体[262]、「機械」文学体[301]にとなっている。この3作品を読んで、それぞれの作品に違った色のイメージを持った。「一兵卒」には砂嵐の中をあるくようなベージュっぽいくすんだイメージ、「刺青」は交じり合わない極彩色、「機械」ではそれぞれの色だけではない配色の効果を感じさせられた。

■「一兵卒」田山花袋 (1908)

「一兵卒」には、うすい茶色っぽいのくすんだ色のイメージを持った。多分、主人公が病を持ち、死に向かっているという、生という色が失われイメージがある。だるさ、辛さ、苦しさが全体に強く意識される。その中でも時々思い出される家族のこと、国のこと、戦場の高揚、そういうある種の明るい色がポッと出てくるけれど、すうっと滲んで溶けていく。
 ただ、本当に死に面したときの強い感情はくすみや砂嵐のイメージとは違ってつんざくように澄んでいる。

過去の面影と現在の苦痛不安とが、はっきりと区劃を立てておきながら、しかもそれがすれすれに擦り寄った。[108]
一種の遠い微かなる轟、子細に聞けばなるほど砲声だ。例の厭な音が頭上を飛ぶのだ。歩兵隊がその間を塗って進撃するのだ。血潮が流れるのだ。こう思った渠は一種の恐怖と憧憬を覚えた。(略)
けれど七、八里を隔てたこの満州の野は、さびしい秋風が夕日を吹いているばかり、大軍の潮の如く過ぎ去った平野平和は平生に異ならぬ。[113]
もうだめだ、万事休す、遁れるに路みちがない。消極的の悲観が恐ろしい力でその胸を襲った。と、歩く勇気も何もなくなってしまった。とめどなく涙が流れた。神がこがこの世にいますなら、どうか救けてください、どうか遁路を教えてください。これからはどんな難儀もする! どんな善事もする! どんなことにも背むかぬ。
 渠はおいおい声を挙げて泣き出した。[117]
「其処に医者がいるでしょうか。」
「軍医が一人いる。」
蘇生したような気がする。[120]
彼は此処に来て軍医をもとめた。けれど軍医どころの騒ぎではなかった。一兵卒が死のうが生きようはそんなことを問う場面ではなかった。(略)
渠はもう歩く勇気はなかった。[122]
死ぬのは悲しいという念よりもこの苦痛に打克とうという念の方が強烈であった。一方には極めて消極的な涙もろい意気地ない絶望が漲るとともに、一方には人間の生存に対する権利というような積極的な力が強く横たわった。[126]

■「刺青」谷崎潤一郎(1910)

一兵卒の「渠」に比べると、清吉は力のある爆弾のような人に思われ、人から影響を全然受けなさそうな雰囲気がある。「他人に影響を与える」というような優しいイメージの人ではなく、好きな者を好きな色に塗りつぶしていく。そんな人に思える。
そしてその世界観には「それはまだ人々が「愚」と云う貴い徳を持って居て、世の中が今のように激しく軋み合わない時分であった。」[8]という昔話調の語りから入ることもあってか、ある種現実感がない。清吉の輪郭のはっきりした性格や、一晩で女が別人のように変わる様子も、極彩色とかはっきりした色を思い起こされるけれど、「今とは違う少し昔の話」という異空間が様々な色や光を表す言葉に彩られて現実とは違う色のある世界を想像させられる。

当時の芝居でも草双紙でも、すべて美しい者は強者であり、醜い者は弱者であった。誰も彼も挙って美しからんと務めた揚句は、天稟の体へ絵の具を注ぎ込むまでになった。芳烈な、或いは絢爛な、線と色がその頃の人々の肌に躍った。[8]
日はうららかに川面を射て、八畳の座敷は燃えるように照った。水面から反射する光線が、無心に眠る娘の顔や、障子の紙に金色の波紋を描いてふるえて居た。[14]
若い刺青師の霊は墨汁の中に溶けて、皮膚に滲んだ。焼酎に交ぜて刺り込む琉球朱の一滴一滴は、彼の命のしたたりであった。彼は其処に我が魂の色を見た。[15]
「どうしてこんな恐ろしいものを、私にお見せなさるのです。」
と娘は青ざめた額を擡げて云った。
「この絵の女はお前なのだ。この女の血がお前の体に交わって居る筈だ。」[13]
 「親方、わたしはもう今迄のような臆病な心をさらりと捨ててしまいました。-お前さんは真先に私の肥料になったんだねえ」
と女は剣のような瞳を輝かした。その耳には凱旋の声がひびいて居た。[17]
折からの朝日が刺青の表にさして、女の背中は燦爛とした。[17]

■「機械」横光利一(1931)

主人は誰といようと相変わらず主人、軽部は喧嘩はそこそこ強いとか、その人の性質というのはもちろんあるけれど、ある立場におかれること、ある境遇の人を見ることで「私」が以前「軽部」が思っていたようなことを感じるというような、配色効果のようなことが描かれているのが面白い。

ふと今まで辛抱したからにはそれではひとつこの仕事の急所を全部覚え込んでからにしようという気にもなって、自分で危険な仕事に近づくことに興味をもとうとつとめ出した、ところが私と一緒に働いているここの職人の軽部は、私がこの仕事の秘密を盗みに這入ってきたどこかの間者だと思い込んだのだ。[95]
そのうちに新しく這入って来た職人の屋敷と云う男の様子が何となくわたしの注意をひき始めた、不器用な手つきといい人を見るときの鋭い眼つきといい職人らしくはしているのだがこれは職人ではなてくてもしかしたら製作所の秘密を盗みに来た廻し者ではないかと思ったのだ。
(主人は)凡そ何事にでもそれ程な無邪気さを持っているので自然に細君がこの家の中心になって来ているのだ。家の中の運転が細君を中心にしてくると細君系の人々がそれだけのびのびとなってくるのももっともな事なのだ。(略)いやな仕事、それは全くいやな仕事で、しかもそのいやな部分を誰か一人がいつもしていなければ家全体の生活が廻らぬという中心的な部分にわたしがいるので、実は家の中心が細君ではなく私にあるのだが、[94]
そんな風に考えるとこの家の中心は矢張り細君にもなく私や軽部にもない自ら主人にあるといわねばならなくなって来て私の傭人根性がまるだしになり出すのだが、どこから見たって主人が私には好きなんだから仕様がない。[99]

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