2015年11月15日 資料・発表:大谷隆
■第Ⅳ章 表現転移論
文学体、話体とは。
文学のような書き言葉は自己表出につかえるようにすすみ、話し言葉は指示表出につかえるようにすすむ。文学作品を表出の歴史としてあつかおうとするときつきあたる難しさは、作品が、ひとつには表出史の尖端の流れを無意識のうちにふんでいながら、同時に話体としても作品が成り立つために、また、話体の歴史として独特な流れをもつところからやってくる。(略)ある時代のある作品は、表出史としてみようとするとき、いつも二重の構造をもっている。ひとつは文学体で、ひとつは話体だ。どちらか一方が潜在的であっても、ひとつの表出の体は、もう一つの体を想定して成り立っている。[195]
この文学体と話体による文学の見方は吉本独自のものである。そのため若干わかりにくい。吉本は釘を刺す。
文学体と話体とからすぐに書きものの歴史と語りものの歴史を想定[195]
しようとしてはいけない。
文学体と話体といっても、ここでは自己表出としての言語という抽象されたところで表出を史的にあつかいうる中心を指している。[195]
ということの意味を掴みたい。この2つが表出として違うのだ、その違いを踏まえたうえで、それを取り除いたところに表出の歴史を見るのだ、というところに吉本の文学論の一つの核があるからだ。まず、文学体と話体の例としてあげられている「真景塁ケ淵(しんけいかさねがふち)」と「佳人之奇遇(かじんのきぐう)」[197-198]は非常にわかりやすく違っている。そして、その違いを踏まえたうえで、その違いによる要素を取り除き、この時点で表出の歴史として何が可能になっているのかをとらえる。
円朝の「真景塁ケ淵」では、作品をおしすすめるもっともおおきな要素は、登場人物の対話であり、それを地の文が結びつけている。ここでの対話は、作者の自己表出としてみるときもっともプリミティブな撰択で、ただ無限に可能なやりとりの中から任意の一つを択んだものということができる。ここには劇的な要素はもない。登場人物が対話によってかかわりあうところからうまれる心のうちの対立が、作品構成の時間の流れをつくっているといったことは、円朝には意識されていない。択ぶ原理はただまえの語りかけにたいして受けとしての意味しか持っていない。この位相は「佳人之奇遇」とひとしいとかんがえられる。「時ニ金鳥既ニ西岳ニ沈ミ新月樹ニ在リ夜色朦朧タリ(略)」を口語に直せば〈そのとき日は西に沈んで(略)〉というふうになるだろうが、ここで日が西の山に沈んで、とかいたあとで新月が樹のあたりにかかる描写にうつり、つぎに月の光が庭や戸内にさしこんでくるという対象のえらび方は、まったく任意な、いいかえれば必然というよりもその場の習性と直観の働きによるだけだ。
ここまで抽象してみると、円朝の話体と東海散士の漢詩体とは表出としておなじ位相にたつことが了解される。作品の歴史を必然の転移としてかんがえうるのは、ここまで抽象するかぎりにおいてだといえよう。[199-200]
つまり、対象の選び方の任意さにおいて、この両者は「おなじ位相にたつ」。
しかし、この文学体と話体の違いは時代を経るごとにわかりにくくなっていく。しかし、吉本にとって、文学体と話体は、明確でありつづける。それは単に「対話を軸に物語が展開するかしないか」ぐらいの違いとは思えない。
僕自身の理解のために一つの例をあげる。
鈴木稜のブログ「ぼくにとって書くことや話すこと」は、著者にとっての書くこととは何か、に関して極めて抽象度の高い表現空間でそれを実現している。これは、著者が別の人のブログを読んで圧倒され「しょうもない文が書けないぞ」と打ちひしがれたところから、著者自身が自らの書くという行為を「ようやくできる」ようになるというところへの視界を、それが開けた瞬間を捉え文章化したもので、文頭から文末までが一瞬のうちにふくまれている。同じ内容をたとえば、「僕はこのブログを読んでとても衝撃を受けた。そして何も書けなくなって・・・。そして、銭湯に行き、磨りガラスの向こうの人影をみながら、ふいに気がついた・・・」といった書き方もできる。この場合、読者は、文中の僕とともに時間を過ごしていく。この時間感覚の違いをもって、現代までのどこかの時点での表出史のいち地点として、前者を文学体、後者を(もしそれが書かれたとすれば)話体として見ることができるのではないか。後者には明確な対話がそれと分かる形で登場しない可能性もあるが、それでもそれを文学体と見ることができるのは、一つのことが文学体と話体によって書かれる可能性があるからで、現時点での僕なりの文学体と話体の理解とする。