【03】『日本・現代・美術』第1回レジュメ

第一章-第二章

2014/10/29 発表:大谷隆

第一章 閉じられた「円環の彼方」は?

著者による本書のねらいは次の通り。
「日本現代美術」を、この言葉を組み立てている三つの要素、すなわち「日本」と「現代」と「美術」にまで還元し、しかるべき手続きのもとに再構成するとしたらそれはどのようなものなのか、そして成立するとしても、いったいそれは「歴史」たりうるのか、と言った課題を扱うのが本論考のおおむねのねらいである。[9]
今回は、日本と西欧、現代と近代の対比を美術の観点から見るという読み方をしてみる。
近代とは、
「近代を象徴する要素は、ヴェストファーレン条約による主権国家体制の成立、市民革命による市民社会の成立、産業革命による資本主義の成立、ナポレオン戦争による国民国家の形成など」「国民国家と資本主義といった近代を象徴する社会・経済・国家のあり方」「フランス革命からが「近代」と見なされる。」(Wikipedia)
芸術からみた西欧における近代は「神・王」を乗り越えた時代。それ以前の芸術は、神・宗教のための美術であり、近代は「芸術のための芸術」が現れる。一方日本ではどうか。著者は「悪い場所」というキーワードでそれを読み解く。「悪い場所」は、
なにかをしようとすればそのことごとくが「歴史から(の)逸脱」せざるをえない、わたしたちの営みがどうしようもなくはらんでしまう、「悪い場所」の性格と、それについての認識といったものなのではないのか。「前史」も「それ以降」も通じて偏在し、そうした時系列をなし崩しにしてしまうような、払拭しえない「起源」そのものなのではないかと思うのである。[11]
日本において「近代」は成立したのか?
怪獣映画、漫画、ロック音楽、新興宗教といったある種風俗的な文化現象が、垣根を超えるようにして絵画や彫刻、反芸術等といった大文字の「芸術」と接続されるときに起こっていることは、そのような事態(芸術と反芸術が互いにうつろな共犯関係にある事態)から導かれているのであって、けっして、(略)「ジャンルの横断」などでは断じてありえない。まったく反対に、われわれの不幸は、いまだにジャンルがジャンルとして機能しておらず、それゆえに最初からそれらが渾然一体となって現れざるをえないような「悪い場所」に生きることを余儀なくされていることにある。(略)超越的な価値が成立することを自ら禁じた「近代」におけるジャンルの自立の問題、すなわち諸芸術間に渡る一種の「プライバシー」を早急に確立することなのであって、成熟したジャンルも成立し得ない「場所」に、隣組的な筒抜けの無媒介な横断があったとしても、そのようなたかだか生来の慣習でしかないものが、なにか危険であったり冒険的であったりするはずがないのである。[17]
西欧と日本の比較、
あらゆるシニフィアンとシニフィエの結合の中で最大の癒着である神と秩序、王と権威のそれを切断するのが近代の条件であるというのが歴史的必然である一方で、市民革命とはまた異なったかたちではあれ、戦後日本における歴史の忘却と欠落もまた、シニフィエとシニフィアンの結合をランダムに解き、言葉だけは同じ響きの「平等」を実現する役目を果たしたことにおいては、本質的には変わらない。しかし、問題は、後者において、その結合の解凍が、「閉ざされた円環」に保証され、またそれを保証するような微温的な「場所」を立ち現わせたということだろう。
「西欧近代」が、ときに王の断頭という歴史的暴力をその起源にはらみ、したがってそれ以降の市民社会の構成員は、一致団結してこの暴力を振るったことの記憶を、権利の獲得の明文化である法の担い手としての自覚において「忘れえない」のに対して、「戦後の日本」を支配するのは、反対に、この「現実」を成立させるためのある「暴力」が打ち振るわれたことに対する、集団的な忘却であるようにすら思われる。[20] 
この(後者の)「暴力」とは第二次世界大戦のことだ。[23]
この「暴力=平和」が、われわれの「現実」を構成しているのである。われわれのうすっぺらで奥行きのない、歴史から切り離された「現実」は、まさにこの意味において、「閉ざされた円環」と呼ばれるにふさわしい。[24]

第二章 90年代日本の「前衛」

日本の現代美術は「奇妙な前衛」。それは、
西欧における「前衛」は、近代の極限として現れてくるものであって、いかに否定の身振りを持って相対するにせよ、近代の成果である自律する絵画や彫刻といった大文字の「芸術」がなければ、そこには「前衛」が成立するための根拠もない。(略)しかし、この国の前衛が敵対し、破壊しなければならなかったほど爛熟した絵画や彫刻とは、いったいどのようなものなのか。もしかすると「日本の前衛」とは、乗り越えるべき「近代」を未完に放置したまま、「近代」を乗り越えるための思いが、いわば「超近代」的な身振りとして自立してしまった、「奇妙な前衛」なのではないのか。[28-29]
ポストモダンについて
「ポストモダンとは大きな物語の終焉(リオタール)」「合理的でヒエラルキー的な思考の態度に対する再考」(Wikipedia)
しかし、「日本の前衛」「日本のポストモダン」は実はプレモダンに通じる。
すなわち七転八倒してモダンを乗り越えようとしていた西欧の超近代的すなわちポストモダン的心性にとって、近代化を完了していないがゆえの日本の前近代的な特性はまったく好都合なものであり、欧米のポストモダンに日本のプレモダンが重ね描かれる時、そのような転倒が生ずる。(略)欧米において「日本の前衛」もしくは「日本のポストモダン」として語られるものが、ひじょうに多くの場合、日本においてはアヴァンギャルドというよりは、前近代的な土着の要素だったことは、枚挙にいとまがない。[35]
日本の前衛としてのオウム真理教。
オウム真理教がたびたび「あのようなものは宗教ではない」といわれたことである。たしかにこの教団は、宗教の代名詞であるような深みをもった理念を持たぬばかりか、こと宗教美術に沿っていっても、崇高な本殿や、壮麗な合唱曲、神秘的な舞踏や宗教がそして巧みな仏像といった要素のことごとくを欠いている。そのかわりにそこにあるのは、町外れの工場のようなバラック小屋やアニメの主題歌もどき(略)そして麻原の磔刑図もどきといったガラクタばかりである。
しかし、こうした薄っぺらで奥行きを欠いたはりぼてまがいの要素は、そのことごとくが、日本の未完の近代の特性でもあったのではないか。いや、もっと悪いことに、オウム真理教がもし、90年代に現れたもう一つの「日本の前衛」であったのだとしたらどうだろう。[37]
近代芸術は、
芸術が成立するための根拠それ自体を問うことが近代芸術の条件であることはもちろんのこととして、それに加えて、体系の体系性は根拠に据えた前提の絶対性にあるのではなく、いかなる恣意的な前提もそれを扱う一定の手続においては十二分に根拠足りうるという、形式化の問題が全面化した[38]
「芸術の価値を決定するための手続が恣意的なものとな」り、
芸術の価値を決定する体系もまた、任意の数だけ存在することになり、数学の体系がそうであったように、もしそのなかでひとつの体系を「選択」する「理由」があるとしたら、それは当の体系が他の体系よりもいっそう多くの範囲を数学的に解決できるからにすぎないのであって、これにならっていえば、無数に存在する芸術の体系のうちで唯一の体系が「選択」される「理由」があるのであれば、この体系もまた、より多くの範囲を「芸術」として解決できるのでなければならないことになる。つまり、他の体系からすれば非・芸術的にしか見えないより多くのものを芸術として解決できる体系が、暫定的にではあれ、すぐれた芸術の価値決定機構となったのである。二十世紀の芸術が、体系それ自体の内的精緻化を目指すのではなく、世界の総体を芸術素として認知してしまわんばかりに、非・芸術と芸術との境界の相対化をさかんに行ったわけは、このようなところに見出すべきである。[38-39]
しかし、近代的な形式化の手続や体系の恣意性、ジャンルの画定といった近代性の基礎的要件がことごとく軽視されていることによって、結果的にそれらは超近代的/前衛的に見えてしまう。(略)オウム真理教の「前衛」性にもまた、同じことがいえるのである。[39]

コメント(大谷)

  • この本の初回のゼミを迎えるまで正直なところ不安だった。これほどまで美術という分野に偏った書籍を必ずしも美術という分野に関わりの薄いメンバーもいる中でゼミとして成立するかどうか確信がなかった。しかし、結果的には杞憂だった。本書は美術から見ている、美術というものを素材にしている、しかし、現わそうとしていることは、その前の2つ、「日本」と「現代」であり、それは当然ながら身近で、関心をもたざるを得ないものだからだろう。西欧と日本、前近代と近代といった対比から浮かび上がる現代の日本という「悪い場所」が肌に迫ってくる。この日本特有の未完の近代という見方はいろいろな分野でその影響がありそう。 
  • 西欧のような大文字の「歴史」を持たない日本の美術、というのは無理やりイメージしようとすると例えば「仏師が自分の表現のためだけに仏像を彫るという西欧近代では成し得た芸術のための芸術が訪れなかった」ということだろうか。 
  • 「「戦後の日本」を支配するのは、反対に、この「現実」を成立させるためのある「暴力(第二次世界大戦)」がうち振るわれたことに対する、集団的な忘却である」[20]というのは村上隆の「日本の『オタク』や『カワイイ』文化は、第2次大戦の戦勝国・米国に軍事的、政治的に依存し、大人になることを拒否した結果生まれた」(2005年「リトルボーイ展」にて)に通じるのか。 

コメント(山根)

  • 西欧において市民が近代を獲得するために王や支配者に暴力を振るったのに対し、日本では今の状況が成立させられるためにむしろ暴力(第二次世界大戦)が振るわれた。しかも、日本人はみんなして暴力を振るわれたことを忘れているという。確かに戦後日本は(経済発展など)望んで今の日本を作ってきたと思っていた。そうじゃないとしたら、今の社会の続きを行くことで次に望む社会があるという感じがしない。暴力が振るわれる前の記憶を探し出して、そこから考えることで何か見えてくることがあるような気がする。 
  • 西欧では近代芸術は神や王・貴族のための芸術を乗り越えて成立した。日本でそういうことが起こるとしたらどんなことだろうと想像すると、仏を彫らない仏師とかそういうものであろうかと考えた。仏を彫らない仏師が仏師として成立するというのは想像がつかないが、それくらいに想像がつかないことが西欧の芸術における近代化だったのだろうか。 

コメント(鈴木)

  • 美術に関心はあるものの特段詳しくない私は、タイトルを見て「この本、読めるのか…」と思っていた。案の上、読み始めたら最初の数ページで挫折しそうになった。しかし読み進めていくと、この本は「美術」を通して「日本の現代」や「近代」に迫っていこうとしていることがわかって、読める気がしてきた。今自分が生きている時代・日本という場所を照らせそうだ。 
  • かつては神や宗教のために芸術が存在していた。しかし、今はそうではない。するとなぜ作品を創り、残すのだろう。このあたり、書かれている気がするけど読み解けない。 
  • 色濃く残る「前近代性」「土着の心性」とはどういうものだろう。 日本の美術作品や芸術活動、日本社会そのものに、どうやってもにじみ出てきてしまっているような感じがして、とても気になる。
Share: